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皇室ニュース・2015/12~5 | |||||||||||||||||||||||
2013・4・3 ユーチューブ 日本人は拝聴して欲しい 終戦の詔勅・天皇陛下玉音放送・1945・8・15 |
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「コメント」 WEB記述をもとに、現代語風の字幕を付けましたが、合っているかは不明です、お許しください。 大日本帝国は、地球世界の当時、一等国である欧米列強(ロシアを含む)の白人国家と一国だけの力で唯一戦った誇り高き民族である。 大日本帝国軍はインドの独立軍とインドネシアで共に戦った戦歴がある。 大東亜戦争は、大日本帝国がアメリカだけに負けが、靖国神社に眠る英霊が命を賭し戦った成果が実を結び、アジア諸国の独立と多くの人々を奴隷から解放し救ったのである。 人類と大日本帝国にとって決して避けては通れなかったのが大東亜戦争である。 |
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2015・12・26 福島民友新聞 両陛下、広野のコメ「おいしい」 宮内庁長官から町長に連絡 |
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「記事全内容」 天皇、皇后両陛下が25日までに、広野町から宮内庁に献上された同町産のコシヒカリを食事で召し上がった。 同日、宮内庁の風岡典之長官から同町の遠藤智町長に連絡があった。 同町のコメは東京電力福島第1原発事故で一時作付けが中断されたが、2013(平成25)年に本格的に再開。 今年はふるさと納税の返礼として減農薬特別栽培米コシヒカリ60キロを贈呈し、人気を集めた。 両陛下が召し上がったコメは今月7日に町が宮内庁に献上。 遠藤町長は、風岡長官から電話を通じて両陛下の「おいしかった」とのお言葉も頂いたといい、「町民の大きな喜びで復興への力も賜った。 古里の復興再生に一層まい進したい」と語った。 ※世界の我欲の強い指導者よ、日本国民の宝、我等の天皇陛下の御心に学べ! |
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天皇陛下のお言葉 | |||||||||||||||||||||||
2015・12・23 産経ニュース 最重要記事 戦後70年「心が痛みます」 |
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記事全内容」 天皇陛下は23日、82歳のお誕生日を迎えられた。 これに先立ち皇居・宮殿で宮内記者会との会見に臨み、戦後70年に当たり、戦争を知らない世代が増えていることを踏まえ、「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なこと」と述べられた。 昨年から続く「慰霊の旅」の集大成として、4月に皇后さまと一緒に激戦地のパラオ共和国訪問を果たされた。 陛下は同国周辺の海に無数の不発弾が沈んでいるとした上で、「島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならない」と訴えられた。 6月には神奈川県横須賀市の「戦没船員の碑」に供花しており、会見でも、日本軍に徴用された民間船の船員が大きな犠牲を払ったことに触れられた。 陛下は「平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失った」とした上で、「非常に心が痛みます」と声を震わせながら話された。 ※お言葉の中に「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なこと」 天皇陛下は大東亜戦争の事実を知れと仰せなのである。 日本人は天皇陛下のお言葉を胸に、大東亜戦争の事実を明らかにし、英霊の名誉を回復しなけらばならない。 日本企業はシナはもういい、今度はインド、機は熟した。 日本企業はインドに進出し、インドの発展に力を注いで欲しい。 インドはシナと違い、決して日本を裏切る事は無い。 日本はインドと手を携え今後の世界をリードする必要がある。 |
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2015・10・14 産経新聞 両陛下、年明けフィリピンご訪問へ |
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「記事内容抜粋」 天皇、皇后両陛下が、年明けにフィリピンを訪問される方向で政府が調整を進めていることが13日、明らかになった。 菅義偉官房長官が会見で明かした。 来年、両国が国交正常化60年を迎えるのに合わせた国際親善が目的だが、両陛下は先の大戦の激戦地だった同国に長年、心を寄せられており、宮内庁は戦没者慰霊の日程を組み入れる方針。 宮内庁によると、ベニグノ・アキノ大統領が6月に国賓として来日した際に招請があった。 来年5月に大統領選があるため、影響がでないように1月末か2月初めで調整中。 両陛下は皇太子ご夫妻時代の昭和37年に同国を訪問されている。 天皇陛下は6月、アキノ大統領を歓迎する宮中晩餐(ばんさん)会のあいさつで「先の大戦において多くの貴国民の命が失われました。 このことは日本人が深い痛恨の心とともに、長く忘れてはならない」とご発言。 「慰霊の旅」を続けている両陛下は、平成17年6月にサイパンを、今年4月にパラオ共和国を訪れ、戦没者を追悼されている。 ※マニラ空爆はアメリカの仕業、死の行進も嘘である。 |
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2015・9・24 産経WEST (1/3ページ) 【神武・海道東征 第7部】 紀和の道(4)舞う八咫烏 神々に導かれ |
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「記事内容抜粋」 熊野の荒ぶる神々を倒したカムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)への高天原の支援はさらに続く。 古事記はこう書く。 〈高木大神(たかきのおほかみ)の命以(も)ち、覚(さと)し白(まを)さく、「天つ神の御子、此れより奥つ方にな入り幸(い)でましそ。荒ぶる神いたく多し。今天より八咫烏(やあたからす)を遣はさむ。(略)」〉 高木大神は、天照大御神と並ぶ高天原の神として古事記に再三、登場する。 また日本書紀も、行く道も見つからずに途方に暮れて眠りについたイハレビコが、ある夢を見たとして、八咫烏が派遣される経緯を書いている。 中略 明治22(1889)年までは同大社の摂社として、八咫烏社が熊野川沿いの大斎原に祭られていた。 川の氾濫で流失したが、熊野三山では、八咫烏の姿を組み合わせた「烏文字」印のついた熊野牛王符や、お守りを授かっていく参拝者が絶えず、導きの信仰は根強い。 |
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2015・8・16 産経新聞 終戦70年 ご慰霊「集大成」 陛下、平和に思い強く |
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「記事内容抜粋」 天皇陛下は全国戦没者追悼式のお言葉の中で、初めて「さきの大戦に対する深い反省」に言及された。 戦後70年にあたり、激戦地のパラオ共和国などで「慰霊の旅」を果たしており、「集大成」(側近)といえる追悼式の場で平和への思いを改めて示された。 これまでのお言葉でも、陛下が「深い反省」の文言を使われたことはある。 中略 13年以降の追悼式では同じお言葉を繰り返してきたが、今年は「戦争の惨禍」の前に「深い反省」のくだりを加え、戦後の平和と繁栄に触れた部分では、新たに「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」との表現を用いられた。 側近は「節目の年に、平和への変わらぬ思いを強調されたかったのだろう」としている。 ※天皇陛下、心中お察し申し上げます。 靖国神社に天皇陛下と大日本国帝国を信じ大東亜戦争を戦った多くの英霊が眠っております。 是非、ご参拝を・・・立ち入った発言、お許しください。 |
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2015・8・15 IRONNA 【戦後70年】 ご聖断下る「日本のいちばん長い日」 |
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「記事内容抜粋」 「五内為に裂く」。70年前のあの日、終戦の詔勅を自ら読み上げられた昭和天皇は、この一節で語気が変わられたという。 深い悲しみと嘆き。ラジオから流れる陛下のお言葉に耳を傾けた日本国民は、そのとき誰もが涙した。 ご聖断と終戦に揺れた「日本のいちばん長い日」とは何だったのか。 戦争を終わらせたもの 玉音放送の原盤初公開 ご聖断仰ぐ以外に道なし 利あらずとも起つ 戦時の記憶 「終戦」を語る ※IRONNAは偉い! |
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2015・8・1 産経ニュース 注目 【戦後70年・玉音放送公開】 もう一つの玉音放送「食糧問題に関するお言葉」 戦後復興に向け国民に助け合い呼びかけ |
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「記事内容抜粋」 玉音放送を録音した原盤が保管されていた缶には、5枚の原盤以外に昭和21年5月24日にラジオ放送された「食糧問題に関するお言葉」の録音盤1枚も入っていた。 昭和天皇が戦後の復興に向けて食糧難に苦しむ国民に助け合いを呼びかける内容となっている。 お言葉の全文は以下の通り。 もう一つの玉音放送「食糧問題に関するお言葉」の音声はこちら 祖国再建の第一歩は、国民生活とりわけ食生活の安定にある。 戦争の前後を通じて、地方農民は、あらゆる生産の障害とたゝかひ、困苦に堪へ、食糧の増産と供出につとめ、その努力はまことにめざましいものであつたが、それにもかゝはらず、主として都市における食糧事情は、いまだ例を見ないほど窮迫し、その状況はふかく心をいたましめるものがある。 これに対して、政府として、直ちに適切な施策を行ふべきことは言ふまでもないのであるが、全国民においても、乏しきをわかち苦しみを共にするの覚悟をあらたにし、同胞たがひに助けあつて、この窮況をきりぬけなければならない。 戦争による諸種の痛手の恢復しない国民にこれを求めるのは、まことに忍びないところであるが、これをきりぬけなければ、終戦以来全国民のつゞけて来た一切の経営はむなしくなり、平和な文化国家を再建して、世界の進運に寄与したいといふ、我が国民の厳粛かつ神聖な念願の達成も、これを望むことができない。 この際にあたつて、国民が家族国家のうるはしい伝統に生き、区々の利害をこえて現在の難局にうちかち、祖国再建の道をふみ進むことを切望し、かつ、これを期待する。 |
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2015・7・20 産経ニュース 伊藤真呂武 (番外編)皇太子ご夫妻、トンガご訪問同行記 雅子さまの「自信」と「充実」の5日間を振り返る |
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「記事内容抜粋」 日本から約8000キロ離れた南太平洋の島国、トンガ王国。 皇太子妃雅子さまが7月2~6日、皇太子さまとともに、2年ぶりの海外公式訪問を果たされた。 国王ツポウ6世の戴冠(たいかん)式に参列して王室との交流を深め、予定外だった日系人との懇談の場では流暢(りゅうちょう)な英語を披露するなど終始笑顔を浮かべられていた。 トンガ側の手厚いもてなしにも支えられ、「一段と自信をつけられた」(宮内庁関係者)充実の5日間を同行記者の目で振り返る。 笑顔の雅子さま 戴冠式では家族としておもてなし 在留邦人らと懇談会には雅子さまがサプライズご出席 「自信を深められたことは間違いない」 中略 「こうした中でトンガ王室やトンガ国民の皆様に温かく迎えていただいたことを心からありがたく思いました」 感想の文書はこう締めくくられている。 「私たちも、両国の親善、友好のために少しでもお役に立てれば幸いです」 ※日本の皇室は誰にでも務まる訳では無い。 国民は暖かく見守るだけでいい。 産経よ、皇太子さま、雅子さまは無いだろう。 産経はNHK、朝日と同じレベルなのか? |
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2015・6・6 ユーチューブ 重要 「今さら聞けない、皇室・国旗・国歌の基礎の基礎」村田春樹氏in岡崎 27年6月6日 |
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「コメント」 ナシ ※日本人の基礎知識、必見。 |
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2015・6・3 読売新聞 陛下「深い痛恨」大戦に言及…宮中晩餐会 |
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「記事内容抜粋」 国賓として来日したフィリピンのアキノ大統領を歓迎する天皇、皇后両陛下主催の宮中晩餐会(ばんさんかい)が3日夜、皇居・宮殿で開かれた。 天皇陛下は冒頭のあいさつで、先の大戦時にフィリピンで多くの国民が犠牲となったことに触れ、「私ども日本人が深い痛恨の心と共に長く忘れてはならないことであり、戦後70年を迎える本年、犠牲者へ深く哀悼の意を表します」と述べられた。 これに対し、アキノ大統領は「過去に経験した痛みや悲劇は、相互尊重や尊厳に根ざした関係構築に努めるという貴国の約束によって癒やされてきました」と英語でスピーチした。 フィリピンの国賓を迎えた晩餐会は平成に入って3回目で、陛下が戦争被害に言及されたのは初めて。 晩餐会には、皇太子、秋篠宮両ご夫妻や安倍首相ら149人が出席。昨年12月に20歳となった秋篠宮ご夫妻の次女佳子さまも初めて出席し、笑顔で乾杯された。 皇太子妃雅子さまも昨年10月に続いて晩餐会に出席され、会場は華やいだ雰囲気に包まれた。 ※さすがフィリピン、アキノ大統領である。 シナと韓国と違う。 大日本帝国軍は、フィリピンでも10万人の民間人を虐殺したと濡れ衣を着せられているのだが、実際、爆撃したのはアメリカ軍である。 フィリピン国民はこの嘘を信じているとは思えないのだが・・・ |
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2015・5・31 ユーチューブ 天皇陛下が襲われた!その4秒間に皇后美智子さまがとられた行動とは? |
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「コメント」 天皇陛下に対して様々な思いを持つ方もいます。以前、べにばな国体に出向かれて祝辞を |
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2015・5・30 産経ニュース (1/4ページ) (385)両陛下、空襲犠牲者らをご慰霊 三笠宮ご夫妻、古式馬術ご見学 |
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「記事内容抜粋」 天皇、皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻はこの1週間、戦後70年にあたっての戦没者慰霊に務められた。 両陛下は26日、東京都墨田区の東京都慰霊堂を訪れ、昭和20年3月の東京大空襲の犠牲者ら約10万5千人の遺骨が納められた霊殿に白菊の花束を手向けて拝礼された。 両陛下が慰霊堂を訪問されるのは、戦後50年だった平成7年以来20年ぶり。 25日には、秋篠宮ご夫妻が千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれた拝礼式に臨席し、先の大戦で海外などで亡くなった身元不明の戦没者を追悼された。 同墓苑には今年新たに加えられた2498柱を含め36万2570柱の遺骨が納められている。 秋篠宮さまは28日、日本動物園水族館協会の通常総会に出席するため訪問した兵庫県姫路市で、空襲犠牲者を祭る太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔に供花された。 続いて、「平成の大修理」で真っ白に生まれ変わった国宝の姫路城も見学された。 ※天皇陛下に何か特別な思いがおありなのであろうが、靖国神社へもおみ足をお運び頂きたいと思うのは私だけでは無いだろう。 |
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2015・5・20 FNN 佳子さまに危害加えると脅す内容の書き込み 警視庁が捜査 |
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「放送全内容」 秋篠宮ご夫妻の次女・佳子さまに危害を加えると脅す内容が、インターネット掲示板「2ちゃんねる」に書き込まれ、警視庁が、威力業務妨害の疑いで捜査していることがわかった。 書き込みがあったのは、インターネット掲示板「2ちゃんねる」で、5月16日、「逆らえないようにしてやる」、「学内には同志の仲間がたくさんいる」など複数回にわたり、書き込みがあった。 佳子さまは4月、大学に入学されたばかりで、警視庁は、不測の事態に備え、警備を徹底するとともに、威力業務妨害の疑いで書き込んだ人物の特定を進めるなど捜査している。 ※日本人では無いだろう。 |
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2015・5・19 NEWS ポストセブン 中国共産党関係者「佳子さまを中国に招待できないか」と話す |
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「記事内容抜粋」 反日を謳う中国共産党政権が、絶対に矛先を向けない唯一の存在が、天皇である。 中国歴代最高指導者は、具体的な問題で日本の政治家と対立しても構わないが、皇室に十分な敬意を払えば、日本人の心証がよくなり、国民の対中感情は良くなると確信していたようだ。 それは、習近平氏が国家主席になる前の2009年に20分とはいえ天皇を表敬訪問した例にも現れている。 そして、いま中国では「天皇訪中」待望論が沸き起こっているという。 産経新聞中国総局(北京)特派員の矢板明夫氏がレポートする。 * * * 中国の著名な保守系サイト、四月網は4月8日に、「日本の天皇を軍事パレードに招待すべきだ」と題する論文を掲載した。 筆者は習近平政権に近いとされる人民大学教授の王義キ(木偏に危)教授である。 「9月に北京で行われる抗日戦争勝利70周年の軍事パレードは、歴史を乗り越え未来を拓くためのものであり、決して憎しみの延長ではない。 安倍首相よりも日本の天皇、もしくは皇太子を招待することがふさわしい」などと一方的な主張を展開した。 ※今度は何なのだ、ご機嫌を取りなのか? AIIBに参加して欲しいのだろうが、その手には乗らない。 シナは日本を何度騙世ばいいのか? 決して天皇家を政治利用してはならないし、シナからされてもならない。 常識的にいま、安倍総理が許すはずが無かろう。 |
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2015・5 IRONNA 両陛下パラオご訪問が意味するもの |
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「記事内容抜粋」 今年4月、天皇皇后両陛下が戦没者慰霊のためパラオ共和国に行幸啓された。パラオの人々の親日感情、日本軍の忠誠心あふれる敢闘ぶりから「天皇の島」と呼ばれたペリリュー島の激戦など、話題の多かった両陛下の行幸啓を振り返りたい。 小島新一のズバリ正論 「天皇の島」への行幸啓 10年来の宿願 パラオご訪問 「忘れられた島」で ペリリュー島の戦い 韓国“情報戦”に危機感なき日本 関連記事 ※今回、天皇陛下がパラオご訪問は大変良かったと思うが、昭和天皇陛下にこそご足労をお願いしたかったが、既に叶わぬ事、残念で仕方が無い。 シナご足労なされた昭和天皇陛下だが、ご存命中に何故、パラオご訪問が成し得なかったのか? 何か理由でも・・・ もし理由が存在するのであれば国民に真相を知らせて欲しかった。 |
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2015・5・6産経ニュース (1/4ページ) 【正論】 世界史に刻まれる「昭和」の時代 東京大学名誉教授・平川祐弘 |
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「記事内容抜粋」 大正デモクラシーに引き続く昭和は激動期であった。 昭和をどう総括すべきか。 近代史を論ずるには複眼が求められる。 いま角度をひろげ世界史の中で昭和天皇とヴィクトリア女王を比べてみたい。 ≪注目すべき二重のドラマ≫ 昭和天皇の時代は1926年から足かけ64年続いた。 これはヴィクトリア女王の時代が1837年から65年続いたのに匹敵する。 女王の時代、英国は植民地をひろげ、世界最初の近代産業国家となり、大英帝国は最盛期を迎えた。 それに対し、昭和の日本は惨敗を喫した。 だが気がつくと英国を抜く産業大国となっていた。 ヴィクトリア女王は1819年に生まれた。 英国がシンガポールを領有した年である。 崩御の1901年、ロンドンに居合わせた夏目漱石は1月22日の日記に書いた。 「 The Queen is sinking. ほとゝぎす届く 子規尚生きてあり」。 陛下の重態が「女王は沈みつつあり」と新聞に報ぜられたとき、大英帝国の人には Queen’s Navy の旗艦沈没の連想が浮かんだことだろう。 ≪和平の回復と植民地解放≫ ≪ヴィクトリア女王時代に匹敵≫ 中略 平成に安んじる人には、そんな古風なお国柄はわからないかもしれない。 戦争世代で不慮の死をとげた人には気の毒だが、敗戦と復興の一身二生の経験は悪くなかった。 巨視的に眺めれば、昭和はヴィクトリア女王の時代に匹敵する時代だったのではあるまいか。 ※日本の史実は今、世界に向けて叫ぶことは無いが、日本民族が誇るに値する素晴らしい財産である。 東大にも日本の史実を見つめ日本に誇りを持ち生活する立派な学者がいる中、平川名誉教授の様な立派な学者の記事を読むと東大も誇らしく思うが、愚かな左翼の学者もいる。 左翼の学者は嘘をつく、この差は何処から生じるのか? 私には分からない。 |
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2015・5・5 産経WEST (1/4ページ) 【神武・海道東征 第3部】 御船出(4)母への孝心 伝える「幻の宮」 |
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「記事内容抜粋」 ▼(3)宇佐と大和王権との強い結びつき…から続く 菟狭(うさ)はよ、さす潮の水上(みなかみ)、豊国の行宮(かりみや)。ああはれ、足一騰宮(あしひとつあがりの)(みや)とよ、行宮。足一騰宮は行宮と青の岩根に一柱坐(ひとはしらま)す〉 北原白秋が作詞した交声曲『海道東征』では、古事記での最初の寄港地、宇沙(大分県宇佐市)はこう歌われる。 カムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)を迎えた宇沙都比古(うさつひこ)、宇沙都比売(ひめ)が、仮宮である足一騰宮を作り、大御饗(おおみあえ)を開いてもてなした記紀の記述がモチーフである。 足一騰宮は、柱1本を階段のようにして使った建物とも、屋根を1本の柱で支えた建物ともいわれるが、実際の姿はわからない。宮があった場所も宇佐市内で諸説ある。 宇佐神宮の境内にかつてあった弥勒寺の跡地そばもその一つだ。 【用語解説】安心院と松本清張 【用語解説】交声曲「海道東征」 |
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2015・5・2 産経ニュース (1/3ページ) 【神武・海道東征 第3部】 御船出(1)水源のない島の窮状に心痛 |
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「記事内容抜粋」 〈日向より発(た)たして、筑紫に幸行(い)でます。故豊国の宇沙に到りましし時に…〉 日向の美々津から東征に出発したカムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)について、古事記はこう記す。 最初に着いたのは豊国の宇沙、今の大分県宇佐市という記述だが、同県内の伝承では、イハレビコは宇沙までに少なくとも3カ所に足跡を残している。 その一つが大入島(おおにゅうじま)(大分県佐伯市)である。 佐伯市の本土側から約700メートル沖。 佐伯湾に浮かぶ同島の伝承では、イハレビコらは佐伯市米水津(よのうづ)の「居立(いだち)の神の井」で食料や水を補給した後、鶴御崎を回って同島に着いた。 ※始めて産経新聞の記事で「鶴崎」の文字を見た。 以前、大入島の記事があったが、小学校のキャンプでは先生が何も教えてくれなかった。 社会人になって再びキャンプをしたのだが、何も気づかなかった。 機会があれば是非見たい。 |
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